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2018年12月9日 郷土の歴史人物  伊藤整一   

西日本新聞の春秋より
みやま市出身の戦艦大和と運命を共にした第2艦隊司令長伊藤整一もそうだった。
(米英との戦争反対)撃沈する前に乗務員には退避を命じ、艦隊で約1700人が
生き残ったとインフィクション作家は伝える。



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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)で調べました。

4月7日坊ノ岬沖海戦において大和はアメリカ航空艦隊の艦載機による総攻撃に
より撃沈され、作戦中止の具申と駆逐艦による大和生存者救助を命じた後、
伊藤は大和の長官室に残り、戦死した。54歳没。4月7日付で海軍大将に特進。
戦没者殊勲として勲一等旭日大綬章を受章。

天一号作戦の際、第五航空艦隊司令長官であった宇垣纏中将は、出撃中の第二
艦隊に対して途中まで護衛戦闘機隊を出撃させたが、その護衛戦闘機隊の中に
伊藤の長男である伊藤叡(あきら)中尉搭乗の零式艦上戦闘機も含まれており
、父親の最期を空から見送った(伊藤叡中尉は4月28日の沖縄海域における特攻
で戦死)[4]

伊藤は愛妻家であり、残される妻や子供に「親愛なるお前様に後事を託して
何事の憂いなきは此の上もなき仕合せと衷心より感謝致候いとしき最愛の
ちとせ殿」という遺書を残していた。


by emiko0708 | 2018-12-09 23:15 | Comments(0)
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