2017年11月11日 やながわ歴史講座 第3回柳川の平地城を巡る 大和編

 今日は、以前より楽しみにしていた歴史講座に参加しました。
 勉強中の蒲地家と田尻家の本城であったり支城であったりという
城に思いを感じながら、柳川の平地城跡(津留城 鷹尾城 中島城)を
8kmの道のりを歩きました。

 集合の大和生涯学習センターには昔の青年とお嬢さんがいっぱいでした。


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集合風景



津留城は鷹尾城主の支城で大和町六合の集落内に位置する。

 1.「軍談」には田尻ノ家臣津留因幡守、 田尻石見守守之、
    同城(鷹尾城)のノ砦タリ

 2.「山門郡誌」大和村西津留に在り、小溝廻れる水田之也。
   只老松一株を残すのみ

 3.矢部川が当時は北側から西、南を津留城を大きく迂回して流れて
   おり津留城は矢部川の左に位置し矢部川に囲まれた要塞の地で
   あった。

 4.中世城館の水堀が現在も残っている


鷹尾城は矢部川右岸の鷹尾神社の東の平地上に位置する。
 1.「軍談」では田尻伯耆守鑑種居城也」とある。元々本拠と
    していた田尻城(飛塚城)が水が乏しかったため
    永禄年間に築城し移ったとある。

    別説1548年に田尻親種が新築したとする説もある。


 2.1582年田尻氏は島津方に与し、龍造寺方の攻撃を受けて
   寵城するも1583年開城となり、田尻氏は当地を去る。


 3.立花統虎の入部に伴い、隣地の中島城と共に、立花織部介が入城
 
    別説 立花統虎の入部に伴い、隣地の中島城と共に、立花(米多比)
       鎮久を置いた。
 4.田中吉政の時代には宮川才兵衞が入城

 5.「鷹尾城絵図」によると鷹尾神社の東側に本丸 つき山北ノ丸寺」が確認できる


中島城は矢部川右岸に面した平地に位置する

 1.「立花統虎知行宛行状」には立花統虎が重臣立花織部介に鷹尾城と中島城の
    勤番を申しつけたとある

   別説  立花統虎の入部に伴い、隣地の中島城と共に、立花(米多比)
       鎮久を置いた

 2.中島城は鷹尾城に付属する柳川城の支城の一つである。




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by emiko0708 | 2017-11-12 07:09 | Comments(0)
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